「古事記」と「日本書紀」。

「古事記」と「日本書紀」は奈良時代の初期に編纂された。2つ合わせて記紀(きき)と呼ばれる。

古事記は712年、日本書記は720年に成立。

A. 古事記・・・日本最古の歴史書

一般的に「こじき」と読んでいるが「ふることぶみ」と読むという説もあり定説はないと言われています。

<構成>

上巻(かみつまき)・中巻(なかつまき)・下巻(しもつまき)の全3巻構成。

上巻は天地の創成から神代を語り、中・下巻は初代神武天皇から33代推古(すいこ)天皇までの事績を記している。

上巻 天地の始まり~神武天皇誕生

中巻 初代神武天皇~15大応神天皇

下巻 16大仁徳天皇~33代推古天皇

<成立過程>

40代天武天皇が天皇家の系譜を記した「帝紀(ていき)」と朝廷の伝承を記した「旧辞(きゅうじ)」に史実と異なる記述が多い為、誤りを正そうと考え、稗田阿礼(ひえだのあれ)に誦(よ)み習わせたことが始まりとされる。

天武天皇の死後、作業が中断されたが43代元明(げんめい)天皇の時 太安万侶(おおのやすまろ)に稗田阿礼(ひえだのあれ)が語る内容を筆録させ712年1月末に献上。

稗田阿礼・・・記憶力が抜群。猿女君氏出身の官人。

原本が現存しておらず、写本で一番古いのは1372年完成の真福寺本(国宝)

特徴:全体の3分の1を神代の話が占めている。

理由:天皇家が神の子孫であることを示し、支配体制の根拠とするため。

<読者対象:国内>

古い順から順に記している。

表記は漢文だが、訓読みを取り入れた独自の和風スタイル

国内に向けて天皇家の正当性をアピールすることが目的だった為、日本人に読みやすく作られている。

B. 日本書記

日本書紀は天皇家と朝廷の説話・歴史を綴った国家の公式記録(正史)。天地開闢(てんちかいびゃく)※天地のはじまり ~41代持統天皇の世まで年次を追って記述。

書名は「日本書紀」でなく、もともと「日本紀(にほんぎ)」が正しいと考えられている。

<成立過程>

天武天皇は681年川島皇子・忍壁(おさかべの)皇子の2人の王子を中心とする12人の皇族・豪族・官吏に「帝紀と上古(じょうこ)の諸事」を整理するようにに命じたとされる。

<構成>

全30巻・系図1巻

系図は現存せず、写本も伝わっていない。

全30巻のうち、巻1・巻2は神代の記述で、天地のはじまりから初代神武天皇の誕生までの神話を記している。

それ以降は、基本的に1巻につき1人の天皇の代の記事が年代順に列記されている。

<日本書紀の原資料>

日本書紀は国家事業として行われた正史の編纂の為、できるだけ多くの資料を集め、記述に厚みを持たせた。※下記はその資料の一部

・帝紀、旧辞(天皇家に伝わる記録)

・墓木 (諸豪族に伝わる記録)

・風土記 (地方に伝わる物語)

・政府の公式記録

・伊吉博徳書(個人の手記)

・寺院の縁起

・百済記、百済本記(外国人の記録)

<読者対象:国外>

中国の正史に倣った体裁をとっていることから国際的に日本の存在感を示す意図があったとされる。

年次を明記して順に記録する「編年体(へんねんたい)」を使用。

表記は漢文

古事記と日本書紀の違い

古事記日本書紀
712年成立年720年
全3巻巻数全30巻+系図1巻
稗田阿礼の語りを伝えた太安万侶が筆録編者川島皇子、忍壁皇子、広瀬王、竹田王・・・舎人皇子
天地開闢~推古天皇収録期間天地開闢~持統天皇
和風をとりいれた漢文表記漢文
国内向け編纂目的海外向け

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