B051.それぞれの選択。

日本では 3月に卒業式、4月に入学式がある学校がほとんどです。

企業では3月決算、4月から新しい期が始まるという会社が多いのではないでしょうか。

そういう意味では、やはり 3月、4月が一年の中で「出会い」と「別れ」の多い季節になります。

大学を卒業してから、約20年が経つと人との出会いと別れは「会社関係」が主になります。

部署の異動や退職、特に3月に そういった話を良く耳にするようになります。

小型機械を扱うメーカーで取引のある50代の男性営業マンがいました。

結構 頻繁にウチの営業所にきて名刺を置いて帰ってました。

営業スタイルは、正直しつこい系。

営業所にきて自分のところの製品が置いてある棚を半分勝手に見てパンフレットの入替をするという厚かましさを兼ね備えた 私の少し苦手なタイプ。

昔スタイルの営業マン、といった感じでしょうか。

その営業マンから 「退職することになりました」と連絡がありました。

話を聞くと、「体調が悪くなり 営業が続けられなくなった」ということでした。

その話を聞いて、少し寂しくなりました。

決して好んで やり取りをしなかった相手ですが、10年以上の付き合いです。

その会社で30年以上働いた営業マンです。

毎回、毎回、訪問時に名刺を置いていった 営業マンです。

この名刺を置いて帰るという行為は「営業の基本」であり、ここまで しつこいくらい置いて帰る営業に過去 出会ったことはありませんでした。

苦手でしたが、その点では 尊敬していた営業マンでした。

最後のやり取りは電話でした。

「私の方がずっと若いのですが、〇〇さんの名刺を必ず置いて帰る あの姿勢を尊敬していました。とても勉強になりました。ありがとうございました。」と伝えたとき

少し、私の目に涙が溜まりました。

あと、もう一つ。

4月に同じエリアを回っていた20代後半のサービス担当が退職しました。

2年程タッグを組んで一緒に活動しました。

お互い 単身赴任をしているような状態で、 壁一枚を挟んで隣り同士の共同生活。

台所、風呂、トイレ共同。

そして 薄い薄い壁です。

彼が 営業所にきて3年程でしたが、そんな寮生活もあって接点も濃かった!

年が離れていましたが、たまにご飯を食べに行ったりしてました。

4月に入り、最初の月曜日。

突然、彼の部屋が空になっていました。

3日前の金曜の夜に一緒にカレーを食べながら、「また来週もがんばろう!」と話した矢先の出来事でした。

不満を多く語らず、一生懸命 不器用ながら仕事に取り組む男でした。

慢性的な人材不足。

会社から求められるノルマや期待。

歯を食いしばって耐えていたのだと思います。

真面目な人間程、壊れやすいものです。

「やってられるかぁーー!」と声に上げられる人は、まだ余裕があるのかもしれません。

突然の退職で会社の戸惑いもあり、顧客に迷惑がかからないようにと対応は大変でしたが

そういう選択を選ばせてしまったことに悔いが残りました。

薄い壁一枚 先で彼は思い悩んでいたことでしょう。

もっと、察してあげられたら良かった。

今 そう思います。

気合と根性で数字があがる時代は過去。

就職氷河期を駆け抜けてきた私は、気合・根性論の中で育っているので理解できます。

大切さも知っています。

けれど、時代は変わっています。

過保護にすることとは異なり、従業員のケアにも目を向けなければ会社は人材を確保できません。

会社存続の為には「利益」を生み続けなければ雇用は守れません。

実際には理想と現実は乖離してしまうものなのですが・・・

2014年に今の会社の社長が言っていました。

私には夢があります。

「皆さんが、自分の子どもを入れたいと思う会社にしたい」

社長の夢に乗っかりたい!と思いました。

私には子どもがいませんが、私も本気でそう思える会社にしたいと思っています。

そのコメントを書いた書類を今でも手元においています。

会社の方針や、人間関係、仕事内容 残念ながら会社を去る人は必ずいます。

私一人でできることは限られていますが、少なくとも今後 このようなことが二度と起こらないようにしたいと心に刻んだ事件でした。

人生は選択の連続です。

朝起きてから寝るまで。

この世に生まれてから死ぬまで。

それが正しい選択なのか、間違った選択なのか?

その時には分からないことばかり。

悩みは尽きません。

けれども、今回 彼が選んだ選択が 誤りでなかったと言えるような人生になることを切に祈ります。