B022.オヤジの背中。

PAKUTASOさんより引用

父は背中で語るもの。

昭和の発想かもしれません。

前のブログでも少々触れましたが父は私が24歳の時に他界しました。

57歳。

戦国時代は50歳。少し前まで80歳。今では人生100年だと言われます。

それを考えたら、もうちょっと長生きして欲しかったなぁと思います。

学生の時は京都から帰ってきても毎回、友達と飲み歩き。父親と一緒に酒を飲む機会を作ろうともしなかった。

40歳を超えて、この年になって

一緒に酒を飲むときはどんな話をしただろう?とふと思ったりします。

父は真面目な人でした。良く言えば。

悪く言えば?そうですね、固い人。カタブツ。

我が家では「イチロー」と言えば、小沢一郎でした。

家では本をよく読む人でした。本屋にもよく言っていました。

本屋でしゃがんで本を読んだりしてました。

その影響か私も本好きに育ちました。

父は本から影響を受けたら、それをまず実行してました。

ひどかったのが、「卵の殻は健康に良い説

卵の殻を食パンに挟んで、しばらく食べていました。

父の影響を受けて、私もエズきながら食べていました。

想像してみてください。

例えば、サンドイッチ。

卵の殻が一カケラでも入っていたら、それはサンドイッチではなくなります。

卵の殻がジャリってしたら、それは「卵の殻が入ってた奴」

素材のパン以下。

食べ物でなくなるくらいの格下げになります。

その一カケラのインパクトはスゴイもの。

もう一回、想像してみてください。

どこをかじっても、卵の殻。卵の殻。

ハズレなし。

パンをカジる度に「ゾクゾク」します。

全てが罰ゲームでした。

母と姉は冷ややかな目で見ていました。

父はしばらく、無言で食べていましたが、いつの間にか卵の殻を食パンに挟むのを止めていました。

さすがに、ヤバいことに手を出したことに気づいたのでしょうか。

結果はともかく、私はそんな父の背中を見て育ちました。

仕事を一生懸命する人でした。

いろいろな資格を持ち、電気工事の資格を取る為、夜間の高校にまで通ったりしていました。

特に叩かれたり、大声で怒鳴られたり、厳しく説教されたことはありません。

仕事を一生懸命やっていた父の背中を見て育ちました。

父は多くは語る人ではありませんでしたが、その背中にそれなりに威厳を感じ、誠実な父を尊敬していました。

あ、一つだけ。

そんな父に厳しく叱られたときのことを思い出しました。

小学生の時です。

おばあちゃんの家に家族全員で泊まりに行ったときのことです。

朝食の時間。

納豆を混ぜる時に、夢中になり過ぎて無意識に口が空いていたようです。

「口を開けて混ぜるな~!」

と叱られました。

そのおかげで、今では口を開けて納豆を混ぜない立派な大人になりました。

世のお父さん。

結局、こんなもんですよ。

父の言ったことなんて。

「俺、今いいこと言った!」と思っていても

子どもは重要なことを全然覚えてないもんです。

あ、もう一つ。

そんな父からのアドバイスを思い出しました。

父は言ってました。

「トイレで大をするときは便器にティッシュを一枚置いてから用を足すと便器に付かない!」

ねぇ?

こんなもんですって。