本日は2020年8月7日。
75年前の昨日、8月6日は広島。2日後の8月9日に長崎。
原子爆弾が落とされました。
8月15日は終戦記念日。
戦後、75年です。
徴兵制もない現在では、75年前に日本が戦争をしていたと聞いてもあまりピンときません。
けれども、私は戦争に縁がありました。
元々、祖父の出身が沖縄で、戦後に宮崎にやってきました。
そして、戦争疎開をしていた祖母と結婚して父が生まれました。
沖縄県。
今は観光地としてのイメージが強い沖縄県ですが、戦争下では甚大な被害をもたらした悲劇の島でした。
沖縄戦。
それは、第二次世界大戦末期の1945年。沖縄諸島に上陸したアメリカ軍とイギリス軍を主体とする連合軍と日本軍との間で行われた戦いです。
3月26日から始まり、主な主戦場は沖縄本島でした。
圧倒的な連合国軍との戦力の違いもあり、日本は敗北します。
戦場となった沖縄は焼け野原となり、両軍及び民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人とも言われています。
祖父は戦後、沖縄を離れ宮崎で新しい暮らしを始めました。
祖父は再婚で、父には腹違いのお兄さんがいました。
沖縄在住で、私も子どもの頃に数回あったことがありました。
祖父は再婚で、父親には沖縄にお兄さんがいる。
その事は知っていましたが、それ以上のことは関心がなかったというか、気にも留めたことはありませんでした。
今から10年くらい前。
父は生まれた時に戸籍が無かったという話を母から聞きました。
「ん?どういうことだ?」
と思い、詳しく聞くと。
その理由は祖父が再婚したことにありました。
祖父が結婚していたのは、戦争中。それも沖縄戦の渦中です。
戦場となった沖縄は火の海と化し、焼け野原になりました。
誰が生きていて、誰が死んでいるかも分からない。
当時は役所も戦禍に見舞われ、戸籍を表す資料等も焼失したり、正確な情報が伝わらない状態でした。
妻も子ども とは離れ離れ。
帰還した祖父は妻と子どもは戦争で亡くなった・・・と聞かされていたようです。
どれほど悲しい思いだったでしょう。
そして、祖父は失意を胸に、新しい生活を送る為に宮崎へやってきました。
そこで、祖母と出会います。
やがて、父が生まれます。
戸籍を申請をする時になって、
沖縄の妻と子どもが生きていることを知ったのだそうです。
祖父はその時、どんな気持ちだったのでしょうか。
戦争による悲劇がここにありました。
私のこんなにも近くにあったのです。
その後、どういうやりとりがあったのかは分かりませんが祖父は宮崎で再婚し暮らし続けました。
私の記憶では祖父が沖縄に行くことは殆どありませんでした。
けれども、この戦争の悲劇が身近で起こったからこそ
今、私がこうして存在し、文章を書いているわけです。
戦後75年。
戦争の悲劇により多くの命が失われた一方で、大切に現代まで受け継がれた命があります。
コロナの影響でお盆に墓参りに行けない方も今年は多くいらっしゃると思います。
例え墓参りには行けなくとも、一年に一度のこのお盆の時期には敬い慈しみの心を持って、先祖へ感謝を伝えたいものです。