黄泉の国から逃げ戻った、伊邪那岐尊は宮崎の阿波岐原の御池で穢れた身体を洗って禊をしました。(禊払いの儀式)
先程の江田神社からのルートから行けば、森を抜けると市民の森から繋がる道路にでます。
真っすぐ行くと案内が出てます。この看板の奥が上の写真の禊した池(御池)です。
御池をグルり。
<古事記より>
投げ捨てた杖や帯、嚢などから次々に神が生まれました。その数は12柱。
水に潜って身を清めると、汚れた垢から2柱の神が生まれ、穢れを清める3柱の神も現れました。
次に水の底に沈んだときに、海の神である綿津見三神 ワタツミサンシン(底津綿津見神 ソコツワタツミノカミ・中津綿津見神 ナカツワタツミノカミ・上津綿津見神 カミツワタツミノカミ)と住吉三神(底筒男命 ソコツツオノミコト・中筒男命 ナカツツオノミコト・表筒男命 ウワツツオノミコト)が生まれました。
綿津見三神は博多湾を拠点にする安曇連 アズミノムラジの始祖とされ、住吉三神は住吉大社に祀られています。
そして、禊の最後に左目を洗っているときに生まれたのが太陽神・天照大御神、右目を洗っているときに生まれたのが月の神・月読命、鼻を洗っているときに生まれたのが嵐の神・須佐之男命でした。
伊邪那岐命は「私は子どもを次々に生んできたが、最後に三柱の貴い子を得ることができた」と歓喜したそうです。三貴子(さんきし)の誕生
天照大御神には首に掛ける玉飾りを手渡しながら「そなたは高天原を治めよ」
月読命には「そなたは夜の食国(おすくに)を治めよ」
須佐之男命には「そなたは海原を治めよ」
と命じた。
御池の横の石碑。
そして、途中に
みそぎ御殿
という少々手作り感ありの看板が。
江田神社があって、禊した御池があって・・・みそぎ御殿?
「何かの手作りの建物でもあるのかな?」
梅雨の時期で雨が降ったりやんだりしてたので、行くの迷いましたが
まずは行ってみよう!と看板に従って歩いて行きました。
次は みそぎ御殿
みそぎ池 マップ